辿り着いた答えは、“仮住まい”。浜名湖畔の平屋が今のベター。
静岡県浜松市の浜名湖畔に建つ平屋が、今回お伺いした後藤夫妻のご自宅。さまざまな場所で暮らしてきた後藤さんにとって、導かれるように辿り着いたこのスタイルこそが現在の答えだそう。名付けられた“仮の家”というネーミングに秘められた想いや、眺望の良いロケーションを選んだ理由を伺った。
- 後藤 繁雄さん(編集者、アートプロデューサー)
- ごとう・しげお|編集者として約50年のキャリアを持ち、著書・編集多数。また、アートプロデューサーやクリエイティブディレクター、京都芸術大学教授などの顔も持ち、活動の幅は多岐にわたる。植物とガーデニングを好み、旅を愛している。
- Instagram - @shigeogoto
さまざまな土地で暮らし、流れ着いた湖畔の平屋。
生まれの地である大阪をはじめ、京都、東京、鎌倉、群馬など、これまでに多くの街・場所で暮らしてきた後藤さん。現在の住まいがある静岡県浜松市を選んだ経緯などを伺った。「どの場所にもそれぞれに良さがあります。最初は偶然でも、実は必然というのがここを選んだひとつの答えです」
この家のスタートは、ある時にアートコレクターでもある不動産会社の会長から紹介されたことがきっかけ。海が見える場所で、ガーデニングがしたいと思っていたので、イメージどおりの場所だったとか。
庭先から浜名湖の対岸まで見通すことができる、眺望の良さも魅力のひとつ。40年間放置された土地であったが、直感的に閃いた後藤さんはこの地に仮の家を建てることに決めた。「今は東京に仕事場があり、浜松駅近くにマンションも借りていて、湖畔にこの家、というスタイルです」
ご自宅は、ある家から着想を得ているのだという。「以前インタビューをしたイギリスの映画監督であるデレク・ジャーマンが、ドーバー海峡近くで黒い家に住んでいたんです。その人里離れた場所に建つスイートな家に憧れていたので、この家はオマージュでもあります」
旅をするように暮らす。流動的が、しっくりくる。
「知らないことや価値が定まっていないものが好きですね。だから、一箇所に留まらず、知らないものを求めていたい」という後藤さん。夫婦揃って旅好きで、国内外あらゆるところに出掛けているそう。
「妻は事前にリサーチする派ですが、私は現地直感を大切にします。慌てずに現象を楽しむのが好きなので。モットーとして、“Art de Vivre=人生を芸術のように”が究極だと思っています」
「雑誌全盛期を知る編集者として東京で忙しい毎日を過ごしていた時代もありました。その頃は表参道ヒルズに12年、鎌倉に定住していたことも」
現在も週に一度は東京を訪れ、仕事をこなす後藤さん。大都市での日々も知ったうえで、「自分の暮らしも流動的がいい」と考えるようになり、現在の多拠点の暮らしを始めたそうだ。旅をすることがライフワークである今の2人だから、流動的であることがベターなのだろう。
インテリアやアートにも造詣が深い後藤さんだが、倉庫を持つほどコレクションが増えたこともあり、この家には必要最低限のものだけを置くと決めた。「立派なアートを観るなら美術館に行けばいい、という考えです。エッセンスを感じさせるものや自分の人生に関係しているものだけ、身近にあればいい。それも少しだけ」
その言葉どおり、落ち着いたインテリアを彩るのは後藤さんが敬愛する芸術家、マルセル・デュシャンのアートや知人であるヴィヴィアン・サッセンの写真。
自宅に置くものを厳選する一方、部屋の一角に神棚のように飾られた石はその数を増やしているのだとか。「石を拾うのが好きで、世界中の石を拾ってきては家に飾っています。自分を呼んでいる石はないか?って。導かれるように流れるままに身を任す。自分自身をおもちゃやサイコロのように扱って、俯瞰的に楽しむ。“自分にやらせてみる”という感覚ですね」
植物に囲まれ、グラスを片手に浜名湖を眺める。
一面を緑に囲まれた三角屋根の黒い家は異彩を放っているようにも見えるだろう。「引っ越したばかりの頃は物珍しいデザインであったこともあり、変わった人が移住してきた、と思われていたようです。でも、日々過ごすうちにご近所さんとも顔見知りになり、今では近くの旅館の方と家族ぐるみで仲良くなり、酒を酌み交わすこともあります」
後藤さんの日課は早朝からの散歩と、庭の観察。しかし、植物の剪定は担当外で、奥様に一任しているそう。そして、夕方になればテラスで晩酌が始まる。緑に囲まれ、湖を一望できる場所で過ごす時間は、日常ながらも格別。
庭の一部は家庭菜園。採れたてのハーブが食卓を彩ることも。「ガーデニングは子どもの頃にやっていた庭いじりの延長です。しかし、面白いですね。時間を設計する感覚。計画はしっかりと立てますが、生き物だから植えてみないとわからない。それがたまらなく楽しい」と、奥様と相談しながら、庭の未来予想図を思案し合うそうだ。
人生は流動的で、すべてが仮。ここは生活の実験場。
「幼少期は大きな家に住んでいました。けれど、使っていない部屋があるのは寂しく感じていて。これは持論ですが、建築家が設計したものと、人が暮らしやすい空間とは必ずしも一致しないと思う。そんな考えをもとにこの家には仮説を詰め込んでみたんです」
間仕切りのない空間や大開口の窓など、この家には実験的な試みが盛り込まれている。「壁や間仕切りを設けなかったのは、人と一緒に暮らすならプライバシーがないのは当然と思ったから。家の広さにこだわらなかったのは、目線の届く範囲を充実させればいいと考えたからです」
「実験的な家に実験動物(自分たち)が住む。やっぱり、自分にいろんなことを“やらせて”、それを楽しんでいるのだと思います。これからどんな面白いものに出会うか分からないし、また別のことや場所に興味が出るかもしれない。愉快なことを続けて、さぁ、どうなるか? だから、仮住まい、仮の家と名付けたんです」
「大きな邸宅やマンションには、もう興味がなくなってしまいました。今の時代、不便を感じることもないですしね」と、豊富な経験を持つからこそ行き着いた「答え」なのかもしれない。
「この先のことはわかりませんが、今は拠点を増やしたり、引っ越す予定はありません。旅が好きだから、ふらっとどこか別の土地で素敵なところを見つけるかもしれないし、ここでいろいろな実験を続けるかもしれない。決めない自由を楽しんでいきたい」と、あくまでも流動的であることを語ってくれた。あえて“ベストな答えを持たない”そんな選択肢を提案してくれているようでもある。
- Photo/Makoto Kazakoshi
- Text/Masayuki Kobayashi
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